お笑い

フットボールアワー2003!若手時代からの飛躍が始まった年

M-1優勝を果たしたフットボールアワーとはどんなコンビ?

フットボールアワーとはどんなコンビ?

岩尾望(いわおのぞむ、1975年12月19日生)
後藤輝基(ごとうてるもと、1974年6月18日生)
の2人からなるお笑いコンビ。
立ち位置は岩尾が向かって左、後藤が右です。
結成年は2000年。

(敬称は省きます)

ネタ担当は主に2人で作り後藤が突っ込みです。後藤の突っこみはネタでも強いですが平場でも面白いです。他のお笑い芸人との絡みでもその面白さを発揮させるワードセンスは非常に高いレベルで発揮され経験値もそうですが持っているお笑いのセンスもかなり高いと言えます。

最初岩尾は「ドレス」後藤は「後藤・天満(のちにエレキグラムに改名)」という別々のコンビで活動していたんだよ

出身は2人共に大阪府でNSC14期生です。

もともと友人同士であった2人は互いの才能を認めておりお互いのコンビが解散をし同期も次々と辞めていく中でお互いにコンビを組みたい気持ちは強くなっていきましたがなかなか「コンビを組もう」ということはできませんでした。

仲を取り持ったのは陣内智則です。
岩尾が陣内に相談する形で実現しました。

漫才というイメージが強いコンビですが結成当初はコントを行っていました。
しかし漫才の評価が高かったため基本スタイルは漫才に移っていきました。

初出場であった2001年M1グランプリ。評価は?

わずか結成2年でM1グランプリ2001年に出場します。フットボールアワーは結成初年度からABCグランプリや上方お笑いコンテストなどの賞レースを獲っていたので期待のホープとしての出場でした。

ネタはエレベーターのネタでしたが素人の私から見てもあまり面白いと思いませんでした。普段は力のあるコンビなのでしょうが緊張していたのだと思います。

そして結果は10組中第6位。1,000点中726点の獲得でしたがダウンタウンの松本人志からは下から2番目の55点(キングコング55点、最低はチュートリアルの50点)だったり島田紳助からの評価も低かったためかなり落ち込んだようです。


後藤に至っては芸人の引退を考えたほどの落ち込みようだったようです。

ちなみに松本人志は麒麟のネタが一番面白かったと発言しています。麒麟のネタは田村の動きが伏線で後に川島のナレーションをあてていくというものだったと思います。確かに面白かった記憶があります

2001年大会は中川家の優勝、ハリガネロックの準優勝という形で幕を閉じました。

フットボールアワー2002!M1での捲土重来を期した年

後藤が引退をすることもなく無事に芸人を続けフットボールアワーは2002年の第2回M1グランプリに出場します。

私はこの年のM1グランプリがある意味芸人にとって確立された大会になったのかな?と感じています。
第1回大会は運営側も出演者側も探っている感じがものすごく伝わっていたので、、、。

笑い飯もこの年でてきましたしフットボールアワーのネタがかなり面白く洗練されていました。

フットボールアワーのネタは1本目「ファミレス」で2本目「結婚式」でした。

「ファミリーレストラン」「結婚式」とも面白かったですね~。
1年目とは構成を変えてきたのだと思います。

1年目の時と面白さが全く違いました。

「ファミリーレストラン」
(おひとりぼっちでよろしいでしょうか?)
(こちらファミリーレストランですけど)
(((あまり大声を出されますと)バイトの高校生が引いております)

他にもたくさん目新しいボケがあったと思います。
・声には反応しないで呼び鈴にしか反応しない岩尾
・アメリカンハンバーグを作っているのは日本人ですがよろしいですか?
・シェフの気晴らしサラダ→地べたでの調理が予想されますが、、、
など

「結婚式」
(新郎新婦搬入口からの入場です)
(今から~後藤君と~(学級会みたいな司会))
(なんと今日が初対面でございます)
など

私は1本目の居酒屋の方面白かったので2本目のネタの詳細はあまり覚えていないのですが面白かったのは覚えています

結局優勝はますだおかだでしたが放送室というラジオ番組であの年は優勝はフットボールだったと松本人志が言っていたような気がします。
この年もフットボールアワーは優勝できませんでした。

ちなみにこの年から決勝の最終は3組でしたが笑い飯が入っていました。2001年の第1回大会は最終決戦は2組でした。
(おばあさんに電車で席を譲るネタだったと思います)

フットボールアワー2003!M1での優勝を果たした年

2003年のM1は全体的にさらに面白くなったと感じました。
タカアンドトシや2丁拳銃も出場していました。

そして笑い飯の伝説のネタ「奈良県立歴史民俗博物館」が生まれた年です。さらに敗者復活で「アンタッチャブル」も出場して最終決戦まで残っています。

この年にフットボールアワーは優勝を果たします。

ネタは「結婚記者会見」と「SMタクシー」です。

この年はフットボールアワー、笑い飯、アンタッチャブルと非常にレベルが高かったです。しかも笑い飯の「奈良県立記念博物館」の印象が強く接戦だったこともありましたがフットボールアワーのネタが面白かったのは覚えています。

結婚記者会見では、写真を撮るパターンを変えていくネタやSMタクシーの「東京駅に行きたいとおいい!」などのボケを繰り出していました。

最終的に審査は笑い飯と票が割れフットボールアワーに軍配が上がるという形で2003年第3回M1グランプリ優勝コンビになりました。

この優勝を皮切りに多数のバラエティ番組で見るようになり現在の活躍につながっています。

フットボールアワー2006!M1でのV2優勝を狙った年

テレビでの露出も順調に伸び活躍の場も広がる中でフットボールアワーは2回目の優勝を狙い出場をします。
この時点でフットボールアワーは立場を確立しており賞レースに出ることのメリットはほぼないように感じるのですが

・2003年の第3回大会で松本人志の票が笑い飯に入り自分たちに入らなかったこと
・前年のブラックマヨネーズの優勝の漫才が衝撃だったこと
・やはり漫才が好きなこと

をフットボールアワーは理由に挙げています。

ネタは「フットボールアワー戦隊」で最終決戦に残り「取り皿」のネタで挑むもチュートリアルの完全優勝の前に屈します。

しかしこの敗北もこの年のチュートリアルの漫才が素晴らしすぎたということと、やはりフットボールアワーの漫才は面白いという再認識につながったので特にその後のフットボールアワーの活躍に影響を及ぼすことはなかったと感じています。

2001年2002年を経てその後評価を高めていったフットボールアワー

賛否は分かれるかも知れませんが、M1の漫才を完全な賞レースへと進化させたのは間違いなくフットボールアワーだと思っています。
2001年第1回大会のフットボールアワーの漫才は面白くも凡庸なものでした。しかしそれを2002年第2回大会の漫才でスタイルを闘う漫才へ変化させ2003年第3回大会でさらに進化させたのは絶対に現在のお笑いにつながっていると思います。

その後、ブラックマヨネーズやチュートリアル、サンドイッチマンなど素晴らしい漫才を繰り出す漫才師や平場で圧倒的なボケや突っこみの能力を繰り出すお笑い芸人は多く出てきますがフットボールアワーが先陣をきっているのは間違いないと思います。

今後もフットボールアワーはお笑い界を盛り上げていってくれると期待をしたいですね。

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