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アンタッチャブル!M-1優勝でコントもできる最強コンビ。10年を経ての復活

M-1優勝でコント1級品のアンタッチャブルはどんなコンビ?復活してからの評価

柴田英嗣(しばた ひでつぐ、1975年7月15日生)
山崎弘也(やまざき ひろなり、1976年1月14日生)
の2人からなるお笑いコンビ。
立ち位置は柴田が向かって右、山崎が左です。
結成年は1994年。

(敬称は省きます)

ネタ作りは2人で考えます。芸人のネタ作りは大まかな設定を考えボケから先に作るコンビが多いですがアンタッチャブルの場合は柴田の突っこみをまず考えその突っこみに山崎のボケをあてていくというスタイルの作り方です。

台本はありますが山崎が台本を覚えきれないためほとんどの場合アドリブの応酬になることが多いです。
アンタッチャブルのネタをみていると山崎が暴走するパターンが多いですよね。それに対応する柴田も凄いと思います。
山崎も柴田の突っこみ、対応力を信じているからあそこまで暴走できるのだと思います。

バラエティ番組においても柴田はMCでもひな壇でも実力を発揮できますし、山崎ももちろんひな壇にはかかせない存在になっています。
お互いにお笑いの実力がずば抜けて高いコンビだということができますね。

2003年第3回M-1漫才もコントもできるアンタッチャブル!一躍有名になりました

M-1優勝で注目を高めたアンタッチャブルだけど他の賞レースでも実績を残しています

NHKの爆笑オンエアバトルでも6代目チャンピオンになっています

2003年第3回大会のM-1グランプリでは敗者復活で本戦に出場したアンタッチャブルでしたがその印象はセンセーショナルでした。1本目の「ファーストフード」ボケも突っこみも斬新で一気に惹きつけられてしまいました。
山崎「すいませ~ん。チーズバーガーセット1つ。違う違う」
柴田「え?」
山崎「違う違う、ビートゥギャザーじゃなくて、、、」
柴田「見せてみろよ!この店のビートゥギャザー見せてみろよ!」

山崎「お時間少々かかりますのでこちらの番号ジャケットを着てお待ちください」
柴田「なんで札じゃねーんだよ」

柴田「なんで、手がぷるぷる震えてんだよ!」
山崎「こちら車海老となっております」

他にもおつりでのボケなど盛りだくさんでしたね。
ボケも斬新、突っこみも的確で言葉遣いが乱暴なようで心地良いトーンなのでボケと突っ込みがうまくかみ合いテンポもよく、それがいいバランスを取っていたのだと思います。

この「ファーストフード」のネタで3位になり最終決戦に進んでいます。

最終決戦のネタは「大学受験」
争う相手はフットボールアワーと笑い飯です。フットボールアワーは「SMタクシー」笑い飯は「かわいそうなゾウ」のネタです。

3本とも面白かったですが私は個人的にはアンタッチャブルが1番面白かったです。
山崎「絶対受かってねーよ」
柴田「そんなことないって」
山崎「絶対受かってないって、だって受けてねーもん」
柴田「じゃあねーよ!」

正直この入りだけでガシッと掴まれてしまいました。本当に面白かったですね。
アンタッチャブルのネタの秀逸さは誰でも思いつきそうなボケなのに思いつかないところに的確な突っこみが入っていくというところにあると思います。

結局この年はフットボールアワーが優勝、2位が笑い飯、3位がアンタッチャブルという結果に終わりました。

しかし大会のエンディングで島田紳助からアンタッチャブルがしきりに話しかけられています。
内容は「すごかった」「来年は本命だ」というような内容だったようです。

2004年M-1漫才もコントもできるアンタッチャブル優勝!もっと有名になりました!

この年のアンタッチャブルはM-1出場資格最終年でした。結成後10年目だったからです。

2010年までのM-1は出場資格は結成後10年でした。
M-1休止後2015年に復活してからは出場資格は結成後15年に変更されています。

この年は少し変わった感じのM-1になっていました。
島田紳助が不祥事で不参加、松本人志も審査員の席にいませんでした。

あと、話題になったのがこの年に出てきた南海キャンディーズです。
南海キャンディーズの1本目は男女コンビかつしずちゃんのキャラクターと山ちゃんのワードセンス溢れる突っこみがさく裂し印象度抜群でした。
しかしこれはあくまで個人的な感想ですが南海キャンディーズは1本目の「手術」ネタがピークだったと思います。
2本目は正直面白くありませんでしたし、この後に数回M-1に出場していますがいずれも低成績に終わっています。

しかしこの年のM-1の1本目の印象度が強かったため2人も成功していったので彼らの個人的な魅力が開花していったのは素晴らしいと思っています。
まさしくサクセスストーリーですね。

さて、この年に出場したアンタッチャブル。満を持して1番最後に登場します。
もう圧巻でした。

2本ともネタのクオリティ、勢いなどで頭1つ2つ抜けていました。

1本目が「プロポーズ」2本目が「万引き」です。

プロポーズ
山崎「娘さんを僕にください」
柴田「お前みたいなやつに娘はやらんよ」
山崎「だけど?」
柴田「だけど?じゃねーよ!この場合はだけどじゃないの」

山崎「確かに僕はお笑い芸人です。だけど安心してください、全然面白くないんです」
柴田「全然だめじゃねーかよ」

柴田「お前に娘を幸せにできるのか?」
山崎「絶対に幸せにします!もし幸せにできなかったら、、、すいません」
柴田「すいませんじゃ済まねーだろ!」
山崎「なんかすいません」

柴田「頭を下げろ、土下座っていうのはこうするんだよ」
山崎「まあまあまあ、頭をあげい」

などなど切れのあるボケと突っ込みの応酬です。

審査後、春風亭小朝が「面白いです、面白いんですがこれ以上のネタありますか?」と大絶賛です。
最高点を出したアンタッチャブルが最終決戦に進出です。

万引き
柴田「お前、なんで来たんだよ!」
山崎「何って、電車で来たんだよ」
柴田「手段じゃねーよ!」

柴田「このくそおやじ!」
山崎「おまえ、いまなんて言った!」
柴田「くそおやじっていったんだよ!
山崎「おまえ、そんなこと言ってたのか、、、」

山崎「お前何を盗んだんだ」
柴田「なんだっていいだろ」
山崎「なになに、モーニング娘、こんな森三中だか何だかわからないようなCD盗んでどうするんだ」
柴田「流行ってるんです~」
山崎「♪うちの息子が万引きしました、ピース」
柴田「お前めちゃめちゃファンじゃねーか!」

山崎「お前毎月120円のおこづかいあげてるだろうが」
柴田「少なすぎるんだよ」
山崎「あたたかーいお汁粉とか買えるだろ」
柴田「あ?」
山崎「あっ、あたたたか~いだな」
柴田「どうでもいいよ、にょろにょろの部分はよ、大体お小遣い少なすぎて俺が学校で何て呼ばれてるか知ってるか?」
山崎「なんて呼ばれてるんだよ?
柴田「激安王だよ!」
山崎「おまえ、、、王様じゃねーかよ!」
柴田「うやまってねーよ、この場合はよ」
山崎「大体そんな王様ともあろうお方が、、、」
柴田「うやまうな、うやまうな」

2本目も1本目のクオリティそのままで圧倒的な力を見せます。

結果、2004年第4回M-1グランプリはアンタッチャブルの圧倒的な優勝で幕を閉じます。

この年の審査員に例年通り島田紳助、松本人志がいても結果は変わらなかったと思います。
また関東勢で初めて優勝したコンビなので関東の笑いの評価も高めることに成功したコンビだとも言えます。

2004年第4回M-1グランプリ優勝!漫才もコントも1級品のアンタッチャブルの評価は?

M-1グランプリ優勝後のアンタッチャブルの評価はものすごく高いものと言えます。
多くのバラエティ番組に出演し、柴田、山崎ともにアドリブ対応力、番組を回す力をいかんなく発揮し力をつけていきます。

順調にライブの全国ツアーやTVの仕事をこなしていっていたアンタッチャブルですが問題が発生します。

2010年の柴田の女性問題です。
これにより柴田は2010年~2011年の謹慎に追い込まれます。

この女性問題は柴田が被害者ということも言われていますし、柴田が加害者という意見もありますが本当に正確なことは分かっていません。
しかし2010年~2011年の柴田の謹慎中にアンタッチャブルの所属する人力舎の社長が逝去してしまったことで山崎がその意思を引き継ぎ柴田が山崎の地位まで自力で上がってくるまでコンビは復活しないと言っていたことは有名な話です。

単独で活動を開始していた山崎ですがその地位はメキメキと上がっていました。
ひな壇に座りながら番組の裏回しをする力、他の芸人を生かす力を存分に生かしていき確固たる地位を築いていきます。

一方、柴田の方は復帰後あまりテレビの露出も少なく苦難の道を何年も続けることになりますが、そこは柴田の能力の高さなのでしょう。
徐々にTVの露出も増え、バラエティ番組のMCなども増えていきます。

柴田も徐々にTVでの露出が増えていきました。

その後ダウンタウンなうやYoutubeでのカジサックの部屋に出演したり過去のことも包み隠さず喋るようになっていき地位を高めていきます。

M-1優勝のアンタッチャブルの復活!漫才、コントも見れる日も近い

柴田が活躍の場を広げてもなかなかアンタッチャブルの復活は叶いませんでした。
そんな中、アンタッチャブルは復活します。

きっかけとなったのはくりぃむしちゅーの有田哲平がMCの「全力!脱力タイムズ」です。
最初は小手伸也と漫才をするという打ち合わせだったのですが、小手伸也の代わりに山崎が登場。
アドリブで柴田と山崎のコントが発動。披露したコントは「ファーストフード」でした。

お互いに緊張を隠せないままの漫才でしたがこれをきっかけに見事アンタッチャブルは復活。
有田哲平の橋渡しでアンタッチャブルは復活したことになります。

山崎はアンタッチャブルを復活させたかった?

山崎と有田は仲がいいのは有名です。
その有田がMCを務める「全力!脱力タイムズ」で復活したことに山崎の気持ちを感じることができると思っています。

実際にこのころは柴田も山崎に負けないくらいTVでの活躍は目を引いていました。

番組を回す力はもちろん、裏回しでも安定した力は突出していました。
おそらく山崎は柴田の力を認めていたのだと思います。

しかしそうなると復活する場が問題です。
山崎の性格上「僕たち復活しました!」というのも違うと思うし照れ臭い、そこで有田の力を借りたのではないでしょうか。

もう一つ思うのが山崎と有田の関係上、山崎が本当にアンタッチャブルを復活させたくなければ有田は山崎の考えを汲み取り復活の場を設けなかったと思うんです。

復活の場を用意したことが山崎がアンタッチャブルを復活させたがっていた裏付けにはなるのではないでしょうか。

いずれにしてもアンタッチャブルは復活しました。
アンタッチャブルの復活は芸人も「待ってました」という空気で歓迎されました。
東京03の飯塚悟志は「化け物が帰ってきた」と喜びを込めてコメントを発表しています。

M1優勝から復活まで紆余曲折を経て確固たる地位を築いたアンタッチャブル

2004年第4回M-1優勝してから不祥事、復活を経てアンタッチャブルは本当に確固たる地位を築いたコンビだと思います。

柴田も山崎もピンでも番組を成立させる力を兼ね備えることができましたし、この後も力をつけ続ける事ができると思います。

ダウンタウンの松本人志などもその力は認めているようですしこれからはもっとバラエティを含めた番組を盛り上げていってくれる存在でしょう。

これからのアンタッチャブルの活躍に期待してしまいます。

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